Harrrrrry

気の向くまま、手が動くまま

芸術と眼鏡と定義

恐らくどんな方でも一度は何かしらの
芸術作品を目にする機会があるとおもいます。
その芸術作品がどういう基準でそれを芸術と
よんでいるのか考えた事はありますか?

恐らくそれは主観であったり過去の経験と照らし合わせて
これが芸術だからこれも芸術だと推し量ったり、あるいは
誰かがそういっているからこれは芸術なんだと感じたり
様々だとおもいます。

私も長いものに巻かれろという人生を歩んできたので

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もし、上の画像を彼の有名なパブロ・ピカソ

「白い物体の表情が読み取れない所が素晴らしい。
これには計り知れない価値がある。君もそう思うだろう?」

と言われたら私は

全力で首を縦に5回振ります。

私にとって芸術は曖昧なものです。
それは芸術に関する知識がないに等しいことが大きな要因です。
其れ故に芸術にはあまり自信がありません。
ですがそんな私を勇気づける記事をみつけ、少しだけ安心しました。

 

騙される人達

news.livedoor.com

サンフランシスコ近代美術館の床に、展示に退屈した
10代の少年が悪戯で眼鏡をこっそり置いてみました。
すると作品名もないこの眼鏡を何かしらの作品と勘違いし
人が集まり、写真撮影まで行われました。

 

人は場の空気に流れやすいのだろうなと感じました。
市販で買った安物のワインを世界が認めるロマネ・コンティ
ボトルにいれ、何も言わずに飲ませて「うん、流石の味だね」と
思わせる事が容易いのと同じくそれがいいかどうかというのは
恐らく大半の人は本当の意味で理解しているのかどうか
というのは怪しいところなのではないかなと思いました。

只この場合、ロマネ・コンティの味を本当に理解していることと
天才といわれるパブロ・ピカソの芸術作品を
素晴らしい作品だと絶賛することは同じことですが

一般的なこれは芸術だというのとでは違う気がします。

この違いは知識に頼るか直感に頼るかという違いで、

パブロ・ピカソさんの作品が天才だといわれるのはその技術が
優れているからです。これは専門的な知識がある人からみれば
素晴らしいと感じるからなのです。

ですが、芸術というのは技術面だけでなく、直感でこれが
よいものという感性がそれを芸術だといわせることもあります。

つまり私が何をいいたいのかというと、

芸術は、パブロ・ピカソさんが手がける作品のような芸術
もあれば、直感的にこの作品は感動的だという芸術もあるということです。

芸術は曖昧なものです。

なので私がよくわからない作品を芸術だと言っても
許してもらえるという口実がこれで成り立つはずです。